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 ← 〈08〉 『……助三郎?』 → 〈10〉 決心
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「雪割草シリーズ」
凌霄花

 〈09〉 夢幻の……

 ← 〈08〉 『……助三郎?』 → 〈10〉 決心
助三郎が一行に気づいて振り向いたその時、早苗は物陰に身を隠していた。
 彼女に聞こえてくるのは声のみ。

「皆さん、お久しぶりです」

 酔っ払いの男達は、そんな助三郎に絡んだ。

「お前、最近職場に顔出さないじゃないか。え?」

「ちょっと国許が忙しいので……」

 さらっと受け流す助三郎だったが、酔っ払いは尚も彼に絡んだ。

「精が出るな。だが、渥美が寂しがってるぞ」

「そうだ、そうだ! 可哀想になぁ」

「は、はぁ、そうですか……」

 早苗は、藩主のみならず職場の皆にも、感づかれていたことを知った。 
そして、あえて今まで何も聞いてこなかった彼らの心遣いに、感謝していた。
 しかし……

「……その、そちらは、嫁さんか?」

 助三郎は一人ではなかった。
 隣にいたのは、女。
 早苗は、一言一句漏らさずまいと、耳を済ませた。
彼女の耳には、緊張で高鳴る心臓の音がうるさく響いていた。
  
「いつも夫がお世話になっております。妻でございます」

 その声は、彼女に聞き覚えのある声だった。
しかも、それはこの世で一番嫌いな女。
 早苗はあふれ出てくる強い感情を歯を食いしばって抑えた。

 そんな早苗とは対照的に、酔っ払いどもはニヤケていた。
そして、酔いに任せて助三郎を冷やかした。

「美人じゃないか。うらやましい!」

「若くて綺麗。お似合いの夫婦!」

「いやぁ…… はははは……」


 助三郎はそれから少しの後、皆の前から立ち去った。
もちろん、女と共に。
 物陰から出てきた早苗が眼にしたのは、『妻』と自称した女と腕を組んで楽しそうに歩く助三郎の後姿だった。

 男どもはそんな彼女に気付くと、面白半分でからかおうとした。
しかし、早苗の顔色が酷く悪いことに気付くと、腫れものに障るように接し始めた。

「渥美、どこ行ってたんだ?」

「……顔色悪いが、酔いが回ったか?」

 早苗は同僚たちの気遣いなど気にしていなかった。
そんなことなどもうどうでもよかった。
 それよりも大事なのは、眼の前に来た現実と向き合うこと。
 早苗は深呼吸をすると無理やり笑顔をつくった。

「すみません! 急用ができてしまいました。飲み比べはまたの機会に……」

 すると、中から残念そうな声が上がった。

「えぇ!? なんでだよ……」

「せっかく朝まで飲もうと思ったのに……」

 早くその場から立ち去りたい早苗は、精一杯愛想良く振舞った。

「また後日、絶対に飲み比べしますから! ね?」

「よし…… わかった。行って来い」

「ありがとうございます」
 
 酔っ払い一行から解放された早苗は、すぐに二人の後を追った。
 彼女が二人に追いついた時、女は助三郎の腕に抱きつき、甘えるような声を出していた。

「……ねぇ、いつ引越しされるの?」

「すぐにするさ……」

 そっけなく返す助三郎に気付いた女は、疑うような眼で彼を見上げた。
 
「やっぱり、まだ話つけてないんでしょう?」

 その途端、助三郎は声を荒げた。
彼の言い放った言葉に、早苗は愕然とした。

「だから、早苗とは離縁したって言ったろ!? ちゃんと三下り半渡して、実家に帰して、書類上でも縁切ったって! 俺とはもう何にも関係ないって!」


 それは突き付けられた現実。
彼が自分のもとに『夫』として、二度と帰ってこない。
 夫婦で無くなった事が分かった瞬間だった。
 しかし、早苗は気丈に二人の会話を聞き続けた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない、わたしはただ……」
 
 女は俯き、泣きだした。
早苗は知っていた。それは『嘘泣き』だと。
 しかし、助三郎は気付かないのか、慌てた様子で彼女を抱き寄せた。
 
「すまん。泣くな。泣いてる顔見たくない……」

 顔をぱっと上げた女の眼に涙は無かった。

「早く一緒に住みたいの。ね?」

 さすがに嘘泣きに気付いた助三郎は、呆れたように彼女に返した。

「あ、あぁ、そのうちな……」

 
 早苗は溜息をつくと、その場から静かに立ち去った。




 本人が気付いては居なかったが、遠ざかっていく早苗の後姿を眺める者があった。

「……お気の毒さま。早苗」

 助三郎の横の女は冷酷な笑みを浮かべた。

「……わたしの勝ちよ。負け犬さん」
 




 早苗は考えなしに、ふらふらと歩いていた。
役宅に帰るでもなし、どこかへ行くでもなし……
 ぼんやりしていたが、顔に当たる冷たい物でやっと我に返った。

「あ、雨……」

 それは通り雨かと思われたが、次第に雨脚が強くなっていった。
雨宿りする場所を探すと、小さな御堂を見つけた。
 その中に入り、雨がやむのを待つ事にした。
 雨をぼんやり眺めていた彼女の口から、ある言葉が突いて出た。

「三年子無きは去れ……」

 彼女はそのとたん、苦笑した。

「……そうだ、子ども産めなくて、ろくに旦那の世話もできない。こんなやつは、妻失格だ」

 自分に言い聞かせるように早苗は続けた。

「だから、赤ちゃん産める、世話好きな良い嫁さんをとる。当たり前のことだ……」
 
 早苗はそんなこと分かっていた。受け入れようとした。
しかし、どうしてもその妻に選ばれた女に納得がいかなかった。

「……だが、なんで弥生だ? どうして、あのバカでどうしようもない性悪女だ?」

 助三郎の横に居たのは、紛れも無く弥生。彼女は早苗の天敵だった。
顔を見れば喧嘩ばかりしていた。
 しかし、結婚後、彼女と直接会う機会はほとんどなかった。
 だが、昔の天敵は今も天敵。嫌いで顔も見たくない。
 そんな女に、どうして愛する男を任せられる事が出来ようか。

「……もっと良い家の、可愛くて性格の良い娘にしろよ。佐々木家に、あのバカ女の血が入るじゃないか。どうしてなんだ…… 助三郎……」

 早苗は懐に手を淹れ、夫からもらった大切な守り袋をギュッと握った。

 その時だった。

 彼女の耳に突然、気味の悪い声が聞こえた。

 アイツガ ワルイ

 オマエハ ワルクナイ
 
 オンナヲ ヤッチマエ
 
 オンナガ ワルイ

 それは、人成らぬモノ達の声。
かつて早苗をあの世に連れ去ろうとした連中だった。
 しかし、早苗は彼らに怯えることは無かった。

「……うるさいから黙ってろ」

 キッと睨みつけたが、彼らは一歩も引か無いばかりか数が増え始めた。

 ツライダロ クルシイダロ
 
 イッショニ イコウ

 ソウダ イコウ
  
「誰が行くか。ほっといてくれ……」

 彼らはしつこかった。

 シカタナイ
 
 ツレテイコウ

 ムリヤリ ツレテイコウ

 早苗はその言葉に驚き、腰の刀に手を当てた。

「おい、何する!?」

 イコウ イッショニ イコウ

「やめろ! 来るな!」

 早苗は、太刀を抜き払い、振りかぶった。





 その時、雷鳴と共に、お堂の中にずぶ濡れの男が勢いよく飛びこんできた。
半被を見に付け、手には大工道具。中年の男だった。

「ひでぇ雨だ…… 大事な商売道具が台無し…… ん?」

 その男は、先客の早苗に気付いた。
彼女は、髪を振り乱し、大刀を片手に、震えていた。
   
「来ないで!」

 男はその凄まじい様に驚き、平伏した。

「平にご容赦を! ただ雨宿りをしようとしただけでして、それ以外は何も……」

 しかし、早苗は男を脅しているのではなかった。
脅していたのは、この世のモノでは無いモノ達。

 第三者の乱入で、彼らの攻撃は失敗に終わった。

 ダメダ ジャマガキタ

 マタニシヨウ マタクル 

 マタクルカラナ 

 彼らは残念そうにつぶやき、一人また一人と消えていった。

 早苗はそれを見ると、刀を下ろした。

「わたしの、勝ちね。ハ……ハハ……ハハハハ!」

 勝ち誇っての高笑い。
 その狂気の沙汰を、ギョッとした眼で先程の男は観ていた。
 
 どう見ても、彼女は精神的に正常ではない。
 そう思ったのか、彼は早苗から離れ、お堂の隅で濡れた着物を乾かしながら、雨がやむのを待つことにした。




 
 相変わらず外は雨。雷も鳴りやまない。
 しかし、男はいつしか夢の中。早苗も、気が抜けたこともあってか、うとうとし始めた。

 しかし、彼らは去って居なかった。
 早苗の隙を窺い、好機を待っていた。
そして、早苗が浅い眠りについた時、行動に出た。





 早苗の眼が開いた。

「……助三郎さま?」

 その場にすっくと立ちあがった。

「助三郎さま! 来てくれたの!? あ、待って、今行くわ」

 お堂の外へと歩き出した。

 眠っていた男はその早苗の声で眼を覚ました。
連れが迎えに来たのかと、寝ぼけ眼で辺りを見渡したが、それらしき人影は無かった。
 眼に入ったのは、早苗が裸足のままお堂の外へ掛けて行く様だった。





「助三郎さま……」

 早苗の耳には、人成らぬモノ達が聞かせる助三郎の声が聞こえていた。
眼には助三郎の幻が映っていた。
 彼女は幻に手を差し伸べた。

「助三郎さま……」

 しかし、幻の彼は早苗の手を取らなかった。
彼女の前を距離を置いて歩いて行った。
 操られるように、早苗は幻の後を追って歩みを速めた。

「待って…… 置いてかないで……」

 彼女はいつしか、お堂の傍にあった池の方へと歩みを進めていた。
しかし、水際でその歩みが止まることは無かった。
 ヒトならぬモノたちは、早苗を溺れさせようと図ったのだった。
 
 正気を失っている彼女は、ひたすら助三郎の幻影を追った。
 ……池の中までも。

 最初はくるぶし程度の水の深さが、進めば進むほど、深くなっていった。
 着物が水を含むにつれ、どんどん重くなった。

「待っ……」

 冷たい水に引きずり込まれ、早苗は意識を失った。





『……苗、早苗?』

 優しく懐かしい大好きな声に気付き、早苗は重い瞼を開けた。
その眼に映ったのは、誰であろう。助三郎だった。

『……助三郎さま? どうしたの?』

 そう言った途端、彼はホッとしたような、泣きそうな、嬉しそうな顔になった。
しかし、すぐに目を吊り上げ、彼女を怒鳴り付けた。
 その声は震えていた。

『どうしたもこうしたもあるか! なんで泳げないのにあんな危険な事した!?』

 しかし、彼女は怒られる理由が分からなかった。

『だって、助三郎さま、呼んでも逃げてっちゃったから、追い掛けたの、だから……』

 助三郎は彼女からすべてを聞く前に、ギュッと彼女を抱き締めた。

『……可哀想に、悪い夢見たんだな? 怖くなかったか?』

 久しぶりにしっかりと抱き締めてくれる彼に、早苗は甘えた。
しっかり彼を抱き返し、彼の温もりを感じた。
 その時、早苗の脳裏に、助三郎の不在中の辛い日々、違う女との逢瀬の光景が浮かんだ。

『……あれは、あれは全部夢なの?』

 助三郎は身体をいったん離すと、早苗の目をじっと見つめて、優しく安心させるように言った。

『そうだ。夢だ。全部夢だ。俺はここに居る。お前の前に居る』

 早苗は助三郎にしがみついた。

『ほんと? もう一人にしない? ずっと傍に居てくれる?』

 助三郎は早苗の眼を覗き込み、優しい眼差しで言った。

『あぁ。ずっと一緒だ。歳とって死ぬまでずっと一緒だ』
 
 そして、彼の顔が近づいてきた。 
 早苗の胸は高鳴った。眼をそっとつぶった。

『助三郎さま……』

 しかし、その時、聞き覚えのない濁声が突如として邪魔をした。

「戻ってこい! 死ぬんじゃねぇ! 眼、開けろ!」

『……へ?』
 
 驚いた早苗は眼を見開いた。
たちまち眼の前の助三郎は消え失せた。
 彼女の眼に入ったのは、見覚えのない天井。
しかし、そこがどこなのか、自分は何をしているのかを思い出す前に、彼女を猛烈な吐き気が襲った。
 それから彼女は、ただひたすら飲み込んだ水を吐きだした。
その間、彼女は自分の背中をさすり、懸命に励ましてくれる男の存在に気がついた。
 もうこれ以上水は出ないと分かった途端、その男は安心した様子で、彼女の傍に足を投げ出してへたり込んだ。

「よかった…… よかった……」

 早苗は、必死に考えを巡らせたが、彼が何者なのか、どうして自分はここにいて、こんな事をしているのか、何も理解できなかった。
 記憶は、雨宿りしていたお堂で、人成らぬモノ達を追い払った所で終わっていた。
 早苗は、意を決して男に声を掛けた。

「……あの、すみませんが、貴方は一体?」

 男は、早苗の質問にすぐに答えてくれた。

「お堂で一緒に雨宿りしてた者だ。覚えてるか?」

「いいえ……」

「そんじゃあ、池で溺れたのは覚えてるか?」

「えっ…… 池で?」

 すべて全く記憶に無い。
早苗が眼を白黒させていると、男は笑った。

「まぁ、正気失ってたからな…… もう大丈夫みてぇだが?」

 早苗は命の恩人に頭を深々と下げた。

「本当に、申し訳ございません……」

 すると、男ははっと何かに気付き、早苗から離れて突っ伏した。

「こちらこそ、申し訳ねぇ! あ、すみません! お武家さまにこんな口聞いて……」

「あ、やめてください。どうぞ、頭を上げてください。それに、貴方が話しやすい話し方でどうぞ、構いません……」

 男にそう言うと、彼は頭を恐る恐るあげた後、ホッとした様子でその場であぐらをかいた。

「……そうですか? じゃ、お言葉に甘えて」

 早苗はその男をしばし観察した。
江戸っ子の威勢の良い男。
 歳は父親の又兵衛くらいの歳であろうか。日に焼けて居る上に体格も良く、至って丈夫そうな男だった。
 その彼に、自分を助けてくれたことを心の中で感謝した。
一方、彼も早苗の事が気になったようだった。

「……一つ聞きたい事があるんですが、いいですか?」

「はい。なんでしょう?」
  
 男からは妙な質問が帰って来た。

「……その、あなたさまは、お侍さんですかい? それともお武家の奥方様ですかい?」

「……へ?」

「……溺れる前は、確かに奥様だったんだが、ほら、今は立派なお侍さんなのでねぇ」

 早苗ははっとして自分の身体を見た。
おぼれた際に防衛本能が働いたせいか、姿と身形は武家の格之進だった。
 早苗はすぐさま女に戻った。

「……すみません、女です」

 しかし、眼の前で大きな男が小柄な女に変わるのを見て驚かない者は居ない。
男も例外ではなく、大層驚いていた。

「……すげぇな あんな男前に化けられるのか」

 早苗は正直に答えた。

「男前はともかく…… 変われます……」

「へぇ…… 芝居だけと思ってたが、本当にそういうのってあるんだなぁ…… すげぇなぁ……」

「お芝居、ですか……」

 言われたことの無い例えに、早苗は少し答えに詰まった。
少々の沈黙が二人の間を流れたが、男がそれを断ち切った。

「……もし、差支えなかったらでいいんですが、あなたさまの事、ちっとでいいから、教えてもらえませんかね?」

 早苗は簡単な身の上と、お堂に来るにいたった理由を話した。
 男は涙もろかったようで、早苗の話しを泣きながら聞いた。
そして、早苗の力になると彼女を励ました。
 仲の良い人には言えない悩みを、全くの初対面の人間に話し、少し気が楽になった。
そして眼の前の男に興味がわいた。

「……貴方のことも、御伺いしてもよろしいですか?」 

「あ、いけね。そうだった。本所の大工で元締め、平兵衛と申しやす」

「平兵衛さん。大工さんですか。本所で……」

 こんなときでさえ、早苗は仕事を忘れていなかった。
『本所』と言えば、赤穂の浪人たちの仇、吉良上野介が移り住む土地。
 何か関係があるかもしれない。そう考えていた。

「あと…… 娘が一人いる。早苗さんと同じくらいじゃねぇかな?」
 
「あ、娘さんいらっしゃるんですか」

 興味深げな早苗の表情に気付いた平兵衛は、早苗を元気付けようと冗談交じりに言った。

「早苗さんみてぇに、おしとやかとか、お上品ってぇのとは程遠いですけどねぇ」

 早苗はクスッと笑った。

「おしとやかなんて。そんな事ありませんよ。わたしなんか、ほら、半分男ですから」

 その途端、平兵衛の声は震え、目は潤んでいた。

「よかった。笑えるなら、冗談言えるなら、もう大丈夫だ……」

 早苗は己の事のように悲しんでくれる彼を見て、しばらく会っていない水戸の父を思い出していた。
いい加減で、どこか抜けていて、母のふくの尻に敷かれっぱなしの父親。
 しかし、そんな彼でも早苗の事は心配してくれる。
 急に彼女は実家の家族が恋しく思った。
 
 平兵衛は彼女のその寂しげな遠い眼に気付くと、膝をポンと打った。 

「さてと、だいぶ遅くなっちまったな。どうします? 水戸様のお屋敷はちと遠いですが」

 早苗は何も迷うことなく、自力で帰るつもりだった。
 
「大丈夫です」

 そう言って男に変わり立ち上がろうとした。
が、溺れて身体が冷えたせいか、めまいに襲われふらつき、立ち上がれなかった。

「……ほら、無理しない方が良い」

「しかし……」

 尚も無理しようとする彼女を平兵衛は止めた。

「いいから、今晩は俺ん家に泊まってくだせぇ。ここから近ぇから、そこでゆっくり休んで。ね?」

 事実、立ち上がれないのに、歩いて帰るなど無理だった。
早苗は平兵衛の言葉に甘えることにした。

「すみません…… では、一晩、よろしくお願いします」





 早苗は大人しく彼に背負われ、彼の家へと向かった。
その途中、彼は一つだけ頼みごとをした。

「早苗さん。頼みがあるんですが……」

「なんですか?」

 平兵衛は申し訳なさそうに頼みごとの内容を伝えた。

「俺の家で、さっきのお侍さまには化けないでくれませんかねぇ?」

 体調不良と精神疲労の早苗。勝手に変わるかもしれない。
念のため、確認した。

「……町人風体にもなれますが、それもダメですか?」

「え? 町人!? もっとヤバいなそれは……」

 侍の格之進はともかく、町人の格さんまでダメという。
 早苗はその理由にすぐに気がついた。
 普通ではありえない変身。それを怖がったり、気持ち悪がったりする人は少なからずいた。
それなのだとわかった早苗は、素直に従うことにした。
 しかし、平兵衛は慌てて早苗に説明し始めた。

「あ、気分害さないでくださいね。変だとか、怖いとか、そういうんじゃないんで」

「では……?」

 それ以外の理由。思い当たる節が無いので、早苗は気になった。

「さっきのお侍さま…… そういえば、名前有るんですかい?」

「格之進です。格で構いません」

「格さんか。良い名前だ。ぴったりだな」

 ますます理由が解らない早苗は首を傾げた。
しかし、すぐに平兵衛から答えが返って来た。

「その、格さんがねぇ…… イイ男すぎるんですよ」

「へ?」
 
 早苗は耳を疑った。
しかし、平兵衛は続けた。

「男の俺から見ても、男前で背が高くてイイ男だった」

「……へ?」

「で、早苗さんと話してみて、真面目で一途ってわかった」

「……は?」

「そんな外身も中身もイイ男に、娘が惚れられちまったら、困るんですよ。本当の男なら良いんですがね。早苗さん、困るでしょう?」

 結局、平兵衛は自分の娘の心配をしていた。
父親として当然のことだった。

「はい! 困ります!」

 早苗は惚れられるなどまっぴら御免と、力強く返事した。





 平兵衛の家に着いた。

「今けぇったぜ」

 彼がそう声を掛けると、中から若い男が二人出てきた。
平兵衛の弟子だった。
 
「あ、親方、お帰りなさい」

「お帰りなさいまし。お嬢さん。親方帰って来ましたよ」

 すると中から娘が駈け出してきた。

「おとっつぁん! 一体こんな時間まで何してたんだよ!? 心配した…… あ、その子どうしたの?」

 彼女は父親の背中におぶわれてる早苗に気がついた。
平兵衛は彼女に説明した。

「具合が悪くてよ。一晩泊まらせる。いいな?」

 早苗は、その娘に会釈した。

「すみません。お世話になります」

 彼女はすぐに早苗を平兵衛の背中から降ろすと、父親に向かって言い放った。

「おとっつぁん、この方に変なことしなかったでしょうね!?」

 平兵衛は娘に怒鳴りつけた。

「バカ野郎! そんなこと言ってねぇで、早く何か食うもんと茶出せ!」

 娘はすぐに父親の言葉に従った。
余計なひと言が付いていたが。

「わかりました! ……ガミガミ親父」

 そんなこと知ってか知らずか、平兵衛は若い男二人に指示を出していた。

「おぅ、客人用の布団出してきてくれ。おい、風呂熱くしてくれ」

「はい」

「へい。ただいま」

 言うとおりに仕事をこなす男二人を満足そうに見た平兵衛は、早苗の方を向いた。
 
「早苗さん、まずは風呂…… おい、お艶、何してんだ」
 
 早苗の隣には、平兵衛の娘お艶がいた。 
彼女は父親が連れてきた早苗に興味津々だった。

「え? じゃあ、わたしと同い年? じゃあ、早苗ちゃんって呼んでいい? わたしの事はお艶でいいから」

 友達を見つけたという感じのお艶は、楽しそうに会話していた。

「お艶ちゃん。お父様に助けて貰いました。ありがとうございます」

「お父様だなんて…… そんなカッコいいもんじゃないよ」

 平兵衛は咳払いし、娘を制した。

「おい、お艶、早苗さんは調子が悪いんだ、そうぺらぺらしゃべるんじゃねぇ」

 お艶も分かっていたのか、すぐに話を切り上げた。

「わかった。じゃ、早苗ちゃん、お風呂行って温まって来て」





 夜中のうちに、早苗は高熱を出した。
仕事があるので役宅に帰ろうとしたが、平兵衛に必死に止められた。
 無断欠勤は出来ない。しかし、身体も動かない。
そこで上司に当てて文を認めた。
 平兵衛にそれを託すと、彼女は倒れるように床についた。

 昼近くに目覚めると、気分は大分良くなっていた。
傍にはお艶がいた。

「……大丈夫?」

 彼女は早苗の汗を拭き、額を冷やす手拭いを取り換えた。
世話をしてくれる彼女に、申し訳ないと早苗は感じていた。

「……今晩には帰れるかな?」

「……ううん、また夜に熱が上がるかもしれない。寝てたほうがいい」

「ごめんね……」

 その通り、早苗の熱は再び上がった。
そして、最悪な事に、悪夢に魘された。
 助三郎の名を何度も呼び、むせび泣いた。
 その様子を傍で見ていたお艶は、早苗の事が気に掛かり、父親から彼女の話を聞いた。

 お艶は怒りをあらわにした。

「酷過ぎる。何も言わないで出て行くなんて、他の人と一緒になるなんて! あんなに早苗ちゃん苦しませて!」

「可哀想だが、俺達にはどうしようもならねぇ……」

「早苗ちゃん、そんな酷い旦那さん、諦めれば良いのに……」

「あの様子じゃ、無理なんだろう……。出来ても、相当時間かかる。心底、惚れて……」

 平兵衛は、言葉に詰まった。眼には涙が浮かんでいた。
 
「ちょっと、泣かないでよ。こっちまで、泣きたくなるでしょ……」

 平兵衛は鼻を強く咬むと、ぶっきらぼうに言った。

「お艶、酒出せ。飲まなきゃやってられねぇ」

「わかった。でもほどほどにね」

 
 結局、早苗が床払いできたのは、それから五日後だった。
その間、お艶は早苗の話を彼女本人の口からも聞いた。
 そして、彼女を懸命に励ました。
 仲良くなった二人は、またの再会を約束して別れた。
 
「早苗ちゃん、また、遊びに来てね」

「うん。ありがとう。またね」

 
 お艶と平兵衛は早苗の遠ざかっていく姿を眺めていた。

「……励ましてやるんだぞ。旦那の事を綺麗に忘れるまでな」

「そう……でも……」

「でも、なんだ?」

「お武家の男って、最低」

 娘の爆弾発言を、父親はその場で諌めた。

「おい、滅多な事言うんじゃねぇ。お前には関係ない」

「そう。関係無い」

「そう、だからお前は、腕の良い大工を……」

 お艶はサッと両手を耳に当て、父親を睨んだ。

「また始まった! わたしはまだ婿取りなんかしませんよ!」

 ベーっと舌を出し、彼女は身を翻し家の中に駆け込んだ。
彼女を父親は追い掛けた。

「またそんなこと言って! やっぱり好きな男居るんじゃねぇのか!? 教えろ!」

「居ない! 居たとしてもおとっつぁんになんか言わない!」

「なんだと!?」

 ギャーギャー大騒ぎをしている傍で、平兵衛の弟子二人は笑っていた。

「お嬢さんまたやってるねぇ」

「棟梁も大変だなぁ」




 このお艶、後に『最低』呼ばわりした『武家の男』に恋してしまう。
 それは悲しく辛い恋だった。
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