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 ←〈13〉 お釈迦様でも気がつくめぇ →〈02〉怪しい縁組
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「雪割草シリーズ」
翁草

〈01〉おにいちゃん

 ←〈13〉 お釈迦様でも気がつくめぇ →〈02〉怪しい縁組
『……おにいちゃん。いっちゃうの?』

 今にも泣き出しそうな少女の小さな頭に、そっと手を置いた。

『泣くな。また会える』

 少女は涙をこらえ見上げた。

『……ほんと? 約束よ。絶対に戻って来てね』

 安堵させるように、歯を見せて笑った。

『約束する』

 小指を絡ませ、約束した。

『指切りげんまん……』





 久々の水戸。
真っ先に行くところは西山荘。
 しかし、彼は表からは入らない。

 西山荘の主、徳川光圀が彼の姿を認め、声をかけた。

「急な呼び出し、すまなかったな」

「……いえ」

「弥七に相談したら、お前を名指ししてな。
頼んだぞ…… 飛猿」

「……はい」





 飛猿は西山荘を後にし、久しぶりに橋野家の門を潜った。

「おぉ。久しぶりだな」

 奥に通され、しばらくすると、主の又兵衛が現れた。

「……お久しぶりです」

「元気そうで何よりだ」

 頭を下げる彼の耳に、彼を呼ぶ声が聞こえた。

「お兄ちゃん!」

 それは、満面の笑みを浮かべた早苗だった。
 そんな早苗を、飛猿は軽々と持ち上げた。

「お、また重くなったか?」

「もう! 子どもじゃない!」

 膨れた彼女の顔を見て笑った。

「そういえば、もう立派な奥さまだったな。早苗」

「うん」

 飛猿が最後に早苗と会ったのは、
彼女が祝言をあげる前の年だった。

「……色々あったみたいだが、よかったな。兄ちゃんは嬉しいぜ」

 早苗は微笑みながら、下女が運んできた茶を彼の前に差し出した。

「お兄ちゃんは? お嫁さんできた?」

「……いいや。独り身さ」

「え? お兄ちゃんかっこいいから、もてると思うのに」

「そうでもないさ」


 たわいもない話を暫くしていたが、早苗はあることが気にかかっていた。

「……今回は長く居られるの?」

「あぁ」

「そうなの!? でも、わたし、しばらく留守にするから……」

 残念そうに顔を伏せる早苗に、飛猿は笑みをうかべて言った。

「……その、早苗の留守の件で、今回水戸に来たんだ」

「どういうこと?」

 飛猿は低い声をさらに低くし、真剣な面持ちで早苗に聞いた。

「……秘術を身につけたらしいな」

 早苗は、聞かれたくないという顔を露骨にした。

「あ、うん……」

 しかし、それを無視して彼女を促した。

「見せてくれないか?」

「……なんで?」

 彼女の浮かべた不安げな表情を和らげるため、彼はにっと笑った。

「イイじゃないか。な?」

 早苗は不服そうな顔をしたまま。

「変なこと、言わない?」

「誰かに言われたこと、あるのか?」

「特には……」

「だったら、な?」

 尚も、促す彼に圧され、早苗は腹をくくった。

「変なこと、絶対に言わないでね!」

「あぁ。言わないさ」





「……どうだ?」

 初めて飛猿の前で、早苗は渥美格之進の姿に変わった。

「……えらい美人だな」

 その言葉に早苗は思わず吹いた。

「美人って…… まぁ、美男よりいいか……」

 少しの間、その姿を眺めていた飛猿だったが、突然畳に手をつき頭を下げた。

「へ? どうした?」

「……お初にお目にかかります。飛猿と申します」

 早苗も笑ってそれに合わせた。

「渥美格之進と申す。よろしく」

「……今度の江戸までの旅、弥七さんの代わりに御老公にお仕えすることになりました」

「そうなのか!? じゃあお兄ちゃんと旅できるんだ!」

 今が男の姿だということを忘れて、うれしそうにはしゃぐ早苗。
しかし、相手は違った。

「渥美様!」

「この時は格さんで。いや、早苗でいい」

「では、格さん。俺は忍びです。格さんは藩士です……」

 それは彼の口から聞きたくない言葉だった。

「お兄ちゃん……」

「その姿の時は、『飛猿』と、呼び捨てでお願いします……」

 彼の態度に、早苗は落胆した。

「わかった。よろしく、頼む。飛猿……」

 その悲しげな目を、彼は見て見ぬ振りをした。





 次の日、早苗は夫の助三郎とともに出仕した。
彼らに光圀は重要事項を伝えた。

「今回の旅は、弥七の代わりに飛猿を使うことにした」

 彼の登用が嬉しく、満面の笑みを浮かべる早苗。
その横で、助三郎は浮かない顔。
光圀もそれが気にかかったようだ。

「どうした? 助三郎。なにか不満か?」

「いえ……」

 早苗は意地悪く笑みを浮かべた。

「御老公、助三郎は飛猿が怖いのです」

「ほう。なぜじゃ?」

 助三郎はその言葉にあわてた。

「おい! 格之進! なにを言う!?」

 しかし、笑みを浮かべた早苗は話すのをやめなかった。

「子どもの頃、某の姉を虐めるたび、こっぴどく仕返しされていたものですから。な?」

「お前っ……」

 二人のやり取りを見て、光圀は声をあげて笑った。

「そうかそうか。はっはっはっは!」





「……なんで飛猿なんだ?」

 御前から下がった後、助三郎は縁側で頭を抱えていた。
 確かに、助三郎は飛猿が苦手だった。
 早苗にちょっかいを掛けて泣かせると、飛猿が飛んできた。
 恐かった記憶しかない。

 しかし、そんなことをしていたのは元服前。
 さらに、彼と最後にまともに会って会話したのも元服前。
 いまだに苦手意識があるものも、いかがなものか……

「俺は、もう立派な男だ。早苗をいじめてなんかいない。
それに、俺は早苗の旦那だ」

 自分の方が立場がはるかに強い。

「それに俺は武士だ。飛猿は……」

 しかし口に出すのをやめた。
言ってしまえば、彼だけでなく弥七やお銀に合わせる顔がなくなる。
 今まで培った信頼関係が崩れて得しまうかもしれない。

「あ、助さん、ここに居たのか」

 そこにやってきたのは早苗だった。
無論、格之進の姿だったが。

「……どうした格さん?」

「今日はもう帰って良いそうだ。帰ろう」

「あぁ、そうだな」

 そこへ人影が。

「……佐々木様。少々、よろしいですか?」

 飛猿だった。

「あ、お兄ちゃん!」

 満面の笑みて嬉しそうな声をあげる早苗。

 助三郎はムッとした。
格之進が飛猿に対して行ったこと。
早苗が飛猿にではない。
頭ではそう分かっていたが、ムッとした。

「……あ『飛猿』 どうした?」

「佐々木様にお話が……」

 浮かない顔の助三郎を面白そうに眺め、ポンと肩をたたいた。

「頑張れよ、助さん。終わったら一緒に帰ろう」

「他人事だと思って嬉しそうに……」

 助三郎は格之進のさわやかな笑みが好きだったが、
この時ばかりは厭味に見えて苦痛だった。

「あ、そうだ! お兄ちゃん、昔こいつとは色々あったけど、
今は俺の大事な旦那様なんだから、いじめないでくれよ。じゃ!」

 そう言い残し、颯爽と去っていく後ろ姿に、男二人の言葉が重なった。

「色々間違ってるぞ……」

 少しの間、二人の間には沈黙が続いた。
最初に重い空気を破ったのは、飛猿だった。

「……ご無沙汰しておりました。佐々木様」

「助さんでいい」

「……はい」

「で、用事はなんだ?」

「……御挨拶に」

「そうか……」

 どうも落ち着かない助三郎のため、飛猿は薄く笑みを浮かべた。

「……助さん、あの時はお互い子どもでした。そう怖がらないでください」

 しかし、それは逆効果だったようだ。
助三郎は怒鳴った。

「怖がってなんかない!」

「失礼しました。では、江戸までの旅、よろしくお願いします……」

 すぐさま頭を下げると、その場を後にした。

「くそっ……」

 己のふがいなさに、悪態をつくしかない助三郎だった。





「助さん隙あり!」

 そう呼ぶ声は高く、背中に飛びかかってきた身体はやわらかく、小柄だった。

「あれ? なんで戻ってる?」

 それは、武家の妻女の恰好をした早苗だった。
少し恥ずかしげに、うつむき加減で言った。

「だって、もうすぐ出立でしょ? ずっと格之進じゃないといけないから……」

 助三郎は思わず彼女の手を取り、歩き出した。

「よし、帰ろう」





「……あれで、問題ありなのか?」

 二人の様子を眺めていた飛猿がつぶやいた。

「そう。大あり。今夜、寝所の上で見張ってみなさい。すぐ解るわ」

 お銀がそう言ったが、飛猿は答えなかった。





「助三郎さま、もうお兄ちゃん怖くなかったでしょ?」

 寝所でそう聞かれ、再び助三郎はムッとしていた。

「もとから怖くなんかない」

 ニヤニヤしながら、早苗は彼の顔を覗き込んだ。

「あ、怒ってる?」

「怒ってない!」

 機嫌が直らない彼に、追い打ちをかけるようにつぶやいた。

「ほら、怒ってる。でも、お兄ちゃんと長い時間一緒に過ごせるの、
何年振りだろな……」

 助三郎は、妻に苛立ちを勘付かれまいと、早々に布団に入ってしまった。





 江戸に向けて出立の朝が来た。

「おはようございます」

 静かに現れ、一向に挨拶をする飛猿。
薬売りの身形。

「おはよう! お兄ちゃん!」

 早苗のその言葉に助三郎がムッとし、飛猿が溜息をつき、
光圀とお銀が笑った。

 はっとした早苗は、言葉を改めた。

「あ、いかん…… よろしく頼む。飛猿」

「はい。先に行っています……」

 彼を見送ると、早苗は隣の男を眺め溜息を洩らした。

「……で、お前はまだ機嫌が悪いのか?」

「いや」

「だったらなんで朝からずっと不貞腐れた顔してる?」

「知らん」

 取り合わない助三郎は、早苗から離れて歩き出した。





 歩みを進めていくうち、いつしか助三郎の機嫌も治った。
順調に小幡の宿までやって来た。

「格さん、宿探そう」

「そうだな。早く見つけて、お銀とお兄ちゃん……じゃなかった、飛猿に知らせないと」

 『飛猿』と言った瞬間、助三郎の眉間にしわが寄ったのを早苗は見逃さなかった。
焼きもちなのだろうか? 
そんな疑問が浮かんだが、すぐさま忘れた。
今は宿探しが先決。
 しかし、すぐさま助三郎がその役を買って出た。

「探してくる。繋ぎも俺がつける。御隠居と、そこの茶屋で待っててくれ」

「珍しいな。お前が進んでやるなんて」

「良いだろ別に。じゃ、御隠居をよろしく!」

 光圀もいつもとは違う助三郎に気付いていた。

「飛猿のおかげかの? 助さんがよく仕事をしてくれる。
夫としても、しっかりしてくれればいいがの……
 そうじゃ。早苗、今夜は助さんと二人部屋取っても良いぞ」

 早苗は冷静に固辞した。

「御遠慮いたします…… 勤めがありますので」





 暫くすると、旅装を解いた助三郎が二人を呼びに来た。
早い仕事をねぎらうと、すぐに宿へと向かった。
 落ち着くと、早苗は皆の茶を入れ、主に声をかけた。

「御隠居、お肩をお揉みしましょうか?」

「その前に、なにか助さんが言いたそうじゃぞ、格さん」

 早苗はやさしく彼に尋ねた。

「なんだ? 助さん」

「……あとでいいか?」

 何とも抽象的なお願い。
夫が何を求めているのか、すべてわかる妻ではない。

「さて、何の希望だ?」

「剣術、柔術、将棋。早苗で……」

 その先を早苗は言わせなかった。

「早苗はどんな要望もダメだ……」

 助三郎は口をつぐんだまま、おとなしく茶をすすり始めた。





「おまたせ」

 主の肩揉みを終えると、次は友達で同僚で夫である男の相手。

「ほれ、木刀」

 受け取って軽く素振りをすると、
助三郎と剣術の稽古を始めた。

 稽古を終えると、水をもらい二人で飲んだ。

「……助さん、何を怒ってる?」

「は? 怒ってなんかないさ」

「……なんか、怒ってるような剣さばきだったけどな」

「お、一人前にわかるようになったか」

 はぐらかされてしまい、結局何に怒っているのか
はっきりしないままその日は過ぎていった。





 朝早苗が目を覚ますと、いつも寝坊な夫は珍しくすでに起きて身支度を終え
窓の外を眺めていた。

「おはよう。早いな」

「おう、おはよう。見てみろ、雨だ……」

 早苗はニヤニヤして言った。

「お前のせいだ」

「なんでだよ」

「昨日珍しく仕事を率先してやった。今朝は俺が起こす前に起きていた」

「なんだそのこじ付けは」

「いいだろ」

 小さな溜息をついた助三郎、
その日の行動を打診した。

「こんなに降ってると、出立は明日の方がいいな。どうする?」

「そうしよう。風邪引いても困る。ということで、御隠居、今日は……
あれ? 御隠居?」

 起き出したものの、布団の上でうずくまっていた。

「いかがされましたか!? 大丈夫ですか!?」

 家来二人は、あわてて主を介抱した。

「大丈夫じゃ。どうも胃の腑が少々、痛んでな……」

 助三郎は、すぐさま早苗に指示した。

「格さん。薬を。印籠の中にあったろ?」

「そうだ! あっ。しまった……」

「どうした?」

「御隠居、申し訳ありません。
昨日、道で苦しんでいたおばあさんにあげてしまいました……」

「そうじゃったな、よいよい……」

 うつむく早苗を余所に、助三郎は次の手を打つことに決めた。

「飛猿に繋ぎをつけよう。飛猿は薬を持ってる」

 彼は仕事の顔だった。





「お邪魔します」

 間もなく一行の元に飛猿がやって来た。

「あ! お兄ちゃん! 御隠居が……」

 おろおろする早苗を余所に、助三郎はてきぱきと指示を出した。

「格さん、薬用に白湯を貰ってきてくれ。
飛猿、御隠居に胃の腑の薬を頼む。あと印籠の薬が切れた。分けてくれないか?」

「へい」

 飛猿の薬のおかげで、光圀の胃の腑の痛みは無事に和らいだ。

「ありがとう、助かった」

 ほっとした助三郎、笑みをこぼした。
それに応えるように、飛猿も……

 二人の間に、初めて穏やかな時間が流れたかに見えた。
しかし、それを早苗が打ち破った。

「お兄ちゃん、ありがとう」

 女の姿で出てきた彼女に、男二人は目を丸くした。
そんなことに気づかない早苗、
 悠然と皆に茶を入れ、飛猿に微笑んだ。

「今日は雨だから、出立しないの。ゆっくりしていって」

 助三郎は強い苛立ちを覚えていた。
自分の前では決して元の姿に戻らなかった妻が、
飛猿の前で戻った。

 なぜ?

 彼は気取られぬよう、部屋を後にした。
そんなことには全く気づかない早苗。
 しかし飛猿は見ていた。
早苗に甘い顔はせず、厳しく言い放った。

「早苗、もう少し考えて行動しろ」

「はい。薬は、今後十分に……」

「その話じゃない」

「へ?」

「助さんはどこに行った?」

「あれ?」

 夫の苛立ち。その原因。
両方ともわかっていない妻。
やっかいな夫婦。
 大きくため息をつくと、飛猿は部屋を後にした。

「では、これにて失礼します……」

「もう行っちゃうの? もうちょっとゆっくりしていっても……」

 追いかけてくる彼女に、心を鬼にして言い放った。

「とにかく、言動に気をつけろ。いいな?」

「なによ……」





 一人ムスッとして縁側に座り、庭を眺める助三郎。
宿に合流したお銀が声をかけた。

「助さん。何してるの?」

「何も」

 彼女は彼がなぜムスッとしているか、知っている。

「いまさっき、飛猿帰ったわよ」

「ふうん」

 そう素っ気ない素振りを見せながらも、
彼はすぐさま早苗のもとへ……
 しかし、彼の機嫌は良くなるどころか更に悪化したのだった。
妻はすでにおらず、同僚が書き物をしていた。
 そのせいもあってか、またしても彼女は気付かなかった。
 苛立ち紛れの夫の溜息に……

「助さん。どこ行ってた?」

「……別に」

 恨みごとのひとつでも言えたらいいが、
恥ずかしくてそんなことは言えない。
代わりに、あることを思いつき主のもとへ足を向けた。

「おい、またどこか行くのか?」

「ああ。ちょっとな」





 その日の夜遅く……

「居たか?」

「ええ。居たわ」

 帰ってこない夫と、姿が見えない主を必死に早苗は探していた。
二人をお銀が見つけ出し、報告に来ていた。

「久しぶりに派手にやってたわよ。どうする気?」

「どうもこうもあるか」

 早苗は怒りをあらわに、二人の元へ向かった。
 案内された座敷の襖を開け放つと怒鳴った。

「助さん! ご隠居も! なにをしてるんですか!?」

 目の前に広がるのはどんちゃん騒ぎ。
 しかし、座敷の連中は誰一人としてどなり声を気にする様子などない。

 出来あがった様子の助三郎が、しまりのない顔で手招きした。

「おっと! ついに色男の登場だ! 格さん! 来い!」

「あら、ほんと。良い男! お兄さん、遊びましょ」

「さぁ、さぁ!」

 芸者に取り囲まれ、不快感をあらわにする早苗。
振りほどき、睨みつけた。

「結構です」

 主もしこたま酒を飲んだようで、浮かれていた。

「格さん、堅いこと言わずに。一杯!」

「ご隠居。また胃の腑を痛めますよ。帰りましょう!
助さん、帰るぞ!」

 早苗は千鳥足の主をお銀に任せ、夫の腕をひっつかんで帰ろうとした。
 しかし……

「格さん、お銀も。先に帰れ。ご隠居は俺が居るから大丈夫だ」

 そう言って、また酒をあおった。

「は? そんなに飲んで、大丈夫だなんて思えるか?」

 睨み付けたが効果はなし。
 へらへら笑い始めた。

「はいはい。どうせ俺は弱い男ですよ! 邪魔者ですよ!」

 そしてそばにいた早苗よりも明らかに年上の芸者を抱き寄せた。

「ねぇさんは、俺のこと好きか?」

「もちろんですよ。助さん」

「うれしいぜ!」

 ギュッと抱き寄せ、耳元で何かを囁いている。
 笑う芸者……
 
 着物をぎゅっと握りしめた。
 
「……なんでそんなことする? 俺、何かお前に悪いことしたか?」

 彼は一瞬、戸惑いを見せたが、
片腕に芸者を抱きながら笑って言った。

「女嫌いのお前には絶対にわからん!
たまには嫁以外の綺麗なおねぇさんたちと、ぱーっと遊びたいんだ!」

 味方だと思っていた主まで、彼女を裏切った。

「そういうことじゃ。早苗には内緒じゃぞ、格さん」

「よし、格さん。一緒に遊ぶか? 支払いするか、二つにひ……」

 その先は言わせなかった。
頬を張る音と、どなり声が響き渡った。

「馬鹿助三郎! もう知らん!」

 彼女は茶屋を飛び出した。




 玄関を出た少し先で、声を掛けられた。

「どうしたんですか?」

「あ……」

「ご隠居は、まだ中ですか?」

「あぁ、助さんと一緒に芸者遊びだ……」

「それで、怒って助さん叩いて飛び出してきた。ってわけですか?」

 その通りだった。
女の感情に任せ、夫を叩いた。
 男の仕事を放り出し、同僚と主を放置してしまった。

「で、格さん。なんで助さんがこんなことしたか、わかりましたか?」

 意外な問いかけに、早苗は驚いた。
妻である自分がわからないのに、飛猿はわかるのか?
 自分が女だからこそ分からず、彼が男だからわかることなのか?

「わかってないようですね、全く……。
頭冷やして、一晩よく考えてみてください」

 そう言残すと彼女に背を向けた。





 まだ日も登るか登らないかわからない頃。
抜き足差し足忍び足で、男二人は宿に戻ってきた。
 そして腰を抜かした。

「これはこれはお早いお帰りで……」

 出立の準備は万端といった姿の格之進が、三つ指ついて笑みを浮かべて
出迎えた。
 男二人は恐怖しか感じられなかった。

「格さん、まさかずっと起きてたのか?」

「当たり前だ」

「格さん、徹夜はいかん。寝なさい。のぅ? 助さん」

「そうです。昼まで寝てろ」

「大丈夫です。早く支度をして、出立しましょう」

 結局逆らえない二人は、大急ぎで身支度をし
大急ぎで朝餉を終えると出立した。

 助三郎はすぐに気付いた。
横を歩く同僚がどことなく元気がないことに……
 恐る恐る話しかけた。

「格さん……」

「なんだ?」

 まっすぐ歩む先を見つめたまま歩く彼女に、
潔く頭を下げた。

「昨日の晩のこと、許してくれ、つい……」

 しかし顔をそむけられた。

「……いやだ」

「酒飲んで、騒いだだけだ。浮気なんかしてない……」

 必死に弁明するも、取り合ってくれなかった。

「ふん!」

 妻に無視されるのも、友達に無視されるのも辛い彼は、
証人にすがった。

「ご隠居、お願いします…… わたしは潔白だと、おっしゃってください」

 光圀は今度は彼を裏切った。

「夫婦喧嘩は犬も食わん。そうじゃ、今回犬のクロは留守番じゃった。
どうしようもないのう……」

「ご隠居……」

 うなだれる彼の姿を、後ろから眺めて自業自得だと笑う早苗だった。





 次の日、一行は無事に江戸に着いた。
旅装を解くなり、助三郎は町人の姿のまま切り出した。

「新助んとこ行くけど、一緒にどうだ?」

「一人で行って来い」

 武家の侍姿に改め終わった早苗は、荷物から矢立てや日誌、算盤を取り出し
机に並べ始めていた。

「……まだ怒ってるのか? ごめんって言ってるだろ?」

 謝り通しの道中。
 そろそろ許してほしかった。
 しかし、許しの言葉もやさしい言葉も帰ってはこなかった。

「俺は仕事があるんだ。一人で行って来い。助三郎殿」

 頑なな態度に、助三郎もあきらめた。

「わかったよ…… 格之進殿!」





「いつから江戸に?」

 友人の突然の訪問に、新助は顔を綻ばせた。

「さっきだ」

「早苗さんは御一緒ですか?」

「あぁ。でも、屋敷で算盤やら帳面やらと睨めっこだ」

 すると、面白そうに、お孝が言った。

「また喧嘩ですか?」

「あ、突然お邪魔してすみません。いえ、どうもお互いに虫の居所が悪くて……」

 気まずそうに頭を掻く彼に、彼女は茶を差し出した。

「今回は、江戸までですか?」

「はい。一月ぐらいで水戸に戻る予定です」

「じゃあ、仲直りお願いしますね」

 茶をすすりながら、溜息をついた。

「さて、どうしたもんか……」

 彼の耳に、若い女の声が届いた。
その声の主は、勝手に部屋に上がって来た。

「お孝ちゃん、お願い匿って!」

 豪華な振袖に、花簪。
どう見ても、良いところのお嬢様。
 歳はお孝より少し下だろうか。
 すらりとした美人だった。

「ちょっと、お初ちゃんどうしたの!?」

 驚きを露わにするお孝。
しかし、乱入してきた娘は余裕の笑顔。

「お見合い逃げてきたの、匿って!」

「え!? また!?」

 ずかずかと上がりこみ、立ったまま新助に笑顔を向けた。

「うちの徳兵衛が来たら、見てないって言ってね。新助さん。
お孝ちゃん、話があるの! 聞いて!」

 引っ張られてゆくお孝を、
男二人は茫然と見ているしかなかった。


 やがて静けさが戻った部屋。

「……なんなんだ、あの娘?」

「呉服屋駒屋のお嬢さん、お初ちゃんです」

 大店の娘が裾や髪や袖が乱れるのもかまわずに走り、
人の家に上がりこむ。
 しかも、見合いを逃げたと言っていた。

「じゃじゃ馬娘か……」

 妻も妹も、おしとやかとは程多い女だがここまでではない。
笑っていると、今度は男が飛び込んできた。
 助三郎より少し年上だろうか。
 背が高く、がっしりした男だった。

「すみません! そのじゃじゃ馬娘はどこに!?
新助さん! うちのお嬢様、どこですか!?」

「え……」

「今度ばかりは、逃げてはいけないと番頭さんからくぎを刺されていたのに……」

「そんなに、いい御縁なんですか?」

 助三郎が声をかけると、彼ははっとして頭を下げた。

「あ、これは、お初にお目にかかります。駒屋の手代、徳兵衛と申します」

 丁寧なあいさつに、助三郎も答えた。

「徳さん。はじめまして。助三郎と申します。助でいいです」

「お見苦しいところをお見せして、申し訳ございません。
本当に大事な縁談なのです。これまでとは違って、無下にしたら……」

「今度はどことの御縁談ですか?」

 新助はお構いなしに聞いた。
 徳兵衛は躊躇することなく教えてくれた。

「さる御大名御用達の大店、薬種問屋旭屋の御次男です。
御大名肝いりの御縁談とのことなので……」

 助三郎は癖で勘ぐってしまいそうになった。
しかし、ぐっとこらえた。

「つかぬことをお聞きしますが。相手の方の見目に問題でも?」

 しかし、気になる助三郎は下世話な話から探ろうと試みた。
 
「いいえ! 歳はお嬢様の一つ上で、背も高く役者のような……」

 好条件の見合いとみられる。
しかし、なぜ逃げたのか。

「じゃあ、何でですかね? お初ちゃんに、聞きました?」

「いいえ。何も……」

「なんだろな……」

 男たちが首をかしげていると、
徳兵衛に声がかかった。

「松吉!」

「ですから、何度言ったらわかるのですか!
私はもう徳兵衛だ…… あ! やっぱりここだった!」

「ねぇ、何でここがわかったの?」

 何かを期待している瞳。
 助三郎は感じた。
 大店のお嬢様が、なぜ自分の店の手代にそのような目をするのか……
 しかし、答えを導き明日前に覚めた言葉で我に返った。

「前もここでした。さぁ、今ならまだ間に合います。帰りましょう!」

 しかし、お初は言う事を聞かなかった。

「嫌なものは嫌なの! お父さんとお母さんに言って!
絶対に嫌って! わたし帰らないからって!」

 わがままなお嬢様に、徳兵衛は溜息をついた。

「お嬢様、わがままはいけません」

「イヤ! お嬢様って呼ばないで!」

 突然お初は語気を荒げた。

「お兄ちゃん! ですますでしゃべるのもやめて!
初って呼んで! お嬢様って呼ばないで! もういや!」

 そして、泣きだしてしまった。

 早苗と飛猿をそこに見た気がした助三郎は、
心穏やかではなかった……
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